9月7日(Fri) - 9月9日(Sun)
もう二週間前になってしまうけど、
EAST : 102 で展示してくださった " よにんのひと "
とても良い写真が撮れた為、ご紹介させてください。
「 花のふるえは あなたのふるえ 」
the vibration of a flower is your vibration.
朽ちた木片に突き刺さる花々。
朽ちた木片に残る養分にすがり、
溝から染み込む水分を啜り、
人口光にて光合成を試みる、
それは、痛々しい花。
劣悪な環境に追いやられようとも、
どうにか頭を天に向けようとする。
しかし、生命力が強い花達だけど、
揺るがぬ強さを持っているわけではない。
私たちの意識のアンテナにひっかかりはしない程の、
ごく僅かな震えでさえ、花は過敏に察知し、受け取り、
感動してしまう。
この作品は直接触れることができます。
木片に両手をそえて、抱えてみる。
抱えた者の手足の震え。
心臓の鼓動、脈の躍動。
花びらは触れる全てのエネルギーを何食わぬ顔で受け止めた後、
抱えきれず身を激しく震わせるのです。
私たちが、喜怒哀楽を身体で表現せずとも、
花は感動を表現してくれる。
ただ、揺れることで
「 enter 」
腰から上を失った女性
腰から下を残した女性
女性は半身を生まれた後に失ったのか
女性は半身のままに生まれ落ちたのか
私はいずれも後者であるように思う。
つまりこの形である必要があったと。
彼女は器だと思う。
器、他者に対する受け入れ口。
切り口が剥がれ、歪ながらも滑らかになっている様は、
触り心地、そして口触りを気にしている。
器の中には濃い青、水分が蓄えられている。
泉のようだと思った。
喉の乾きをおぼえたら、切り口に唇を当てて、
彼女を傾けて、乾きを潤すことだって出来る。
その泉の上、逆さ吊りにされたのはドライフラワーでしょうか。
逆さ吊りにされた花は、自らの体質を変化させることで、
水気が無くとも長時間生きられるようになったというのに。
今更、身近な場所に水源を準備されている。
もし生花だったとしても、生殺し。
花の部位を人間に例えてみればいい。
足首に紐を結び付けて、宙吊り。
死刑執行前夜。
綺麗な皮肉だなと思う。
" enter "
それは何者かが入り込む余地があるということ。
水が注がれればグラスになるし、
花が落ちれば花瓶になる。
「それ」の為でなく「なにか」の為に。
その器は優しく開いているのだと思う。
女性の下半身は、精を受け入れ、生を育むのです。
そう、この器も、何かを受け入れ、生かす為にと
「 こころ と いきる 」
最後にご紹介する作品は、部屋の中央にあった。
作品は大きく「上層/中層/下層」の三層に分けられる。
" 上層 "
銅板だろうか。鈍く黄色く光る板の囲い。
その中から少しだけ顔をのぞかせる複数の金属片。
その切っ先にテグスを垂らし、羽が結ばれている。
部屋の上部、丁度冷房機から送り出される風が行き当たる場所で。
鐘に似たその風貌に反して、
静かに、音もわずかに、揺れている。
視線を少しだけ下げて、中層。
宙に張られた白いクロスは、何者かが乗っているかのように、
中央部が少しだけたわんでいる。
空中ブランコにおけるセーフティーネット
ベッドシーツ
また、少し視線を下げた先の下層。
四隅から降ろされた碇。
作品を定着させる為に、
楔を打ち込むのではなく、重い腰をおろす、という手法を選ばれたのも
作品の行き着く先を見据えてのことでしょう。
四隅の対角線、中央には逆さにされたガラスの瓶。
中では色褪せた花が溺れている。
これらの配置場所からも、クロスをたわませた犯人像が見えてくる。
でも、見えてくるけど、わからない。
「 そこに腰掛けている存在 」
「 実態が見えないけど、そこにある存在 」
私はその存在の姿/形を写真に落とし込みたいと思った。
どうやったって彼らの実態を捉えることは出来ないのに。
叶うのは、鏡を通して、とか、
間接的に彼らの存在を知覚することまで。
例えるならば、影に近しいもの。
何かを見る為には、光が必要で。
影をつくるには、光を遮るものが必要で。
- そうだ。彼らは遮ろうとしているのかもしれない。
今回の展示を手がけた " よにんのひと "
kunitomo yuji / sakai marina / tokuda chihiro
彼らの制作を通じて、
非力だった声は、遠く深くまで聞こえるようになった。
喜怒哀楽、どれにも似つかない、無色透明な声が。
空気を揺らし、観客の中へ、影をおとすのです。
ブログを通じ、誰かに届きますよう。
(ぱんだ)