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ムラセ マナブ 『フィリアは渇いた中で』


ムラセ マナブ 
『フィリアは渇いた中で』 
2015.12.18 - 2015.12.23 at EAST 302

真っ白な壁に並ぶのは、すべてが曖昧なイメージ。
写真である以上そこに写るのはすべてが現実に存在するもののはずなのに、誰かが見た夢の中に入り込んでしまったかのような、そんな不思議な感覚を覚えてしまう。

ムラセマナブの写真展『フィリアは渇いた中で』の展示スペースは、外界と遮断されたパラレルワールドのような空間でした。





展示タイトルを考える時は「リズムで考える」というムラセさん。

しかし『フィリアは渇いた中で』というタイトルの意味、そのもとで展示されている作品は互いに作用し合い、そこに確かなコンセプトが存在することがわかります。

『瞬』

『瞬』とは瞬間をさすのか、それとも瞬き<まばたき>という行為そのものを表現しているのか。
具体性を排除した作品とそれに与えられた名前により、鑑賞者は思索に誘われます。

『刻』

写真によりぶつ切りにされた時間と空間。
『刻』とはまさに、写真という発明そのものを表している言葉でもあります。

それ以前、あるいはそれ以後にも物語は存在する。それを想像することこそが、ムラセマナブの作品の楽しみ方なのかもしれません。



場所、時間、季節、被写体から一切の具体的意味を排除した作品を撮るようになったと言うムラセさん。
一枚の写真それ自体に全てを語らせるわけではない。その写真を見てなにを思うのか、付けられたタイトルをどう関連づけるか。そう問いかけることがムラセさんが作品に与えた役割でもあるのです。




27枚の写真をひとつの作品として展示。
27という数字は、昨年行われた自身の個展に繋がるキーワードでもあります。




人を写した写真でも決してポートレートではない。
生身の人間はイメージを構成する要素のひとつでしかなく、そこに花などのモチーフが重ね合わされている。








一つひとつにも意味があり、その意味の集合体として一つの作品を形作っている。
そのすべてにタイトルが付せられ、その数だけ世界が存在しています。




展示作品をの小プリントも販売中。



解説ノートを読むことで、2周3周と展示を楽しむことができます。
1周目には見えなかった世界が2周目に表れ、3周目にはまた新たな世界が広がっている。
この空間からそうやすやすと抜け出すことができなくなります。



ムラセさんの構想3部作の2部作目に当たるという今回の展示。
しかし前回の展示を知らなくても十分にその世界を堪能できるし、今回の展示を見ることで、次回の展示もあらゆる楽しみ方ができます。

この機会、お見逃しなく。

ムラセ マナブ
http://www.murase-films.com


 【出展スペース:EAST 302】
DF STAFF isaka