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SEKORABA 『SEKORABA展 3』


言葉とドローイング

その響きを頭に入れながら、展示を拝見してきました。
線は記号になり、線は文字になる。

その線が紡ぐものは何でしょう。


今回は二部屋を利用されているSEKORABAさん。

一部屋はアトリエ兼控え室、もう一部屋は展示会場。
アトリエからは音楽が流れ、その空間でドローイングをされていました。

今回は展示スペースに焦点を当てたいと思います。


大きい用紙にどれだけのインクが落とされたのか。
細部のそれぞれが細胞核のように。

太い線、細い線。
二種類の線が集合して作品が立っています。
線の総数も特徴の一つですが、その軌跡の総和、絡み合いこそが
最も目を引きました。


この一枚は作品の拡大写真。
SEKORABAさんの作品は引いた時、近づいた時とで表情を変えます。
それは私たちの人間の能力による所が大きいのでしょう。

写真のように部分的に注視すると気付く。
ほんの数ミリにも満たない単線にも込められて、
線の両端の抜き差しからも伺えるSEKORABAさんの制作に対する姿勢。

それは次にご紹介する「言葉」にも強く現れています。


文字というよりも記号、図形という印象を与える、
SEKORABAさんの生み出す言葉、文字。

手書きであることを疑問視してしまうほど、
一文字、一文字の佇まいに目視線が奪われる。


文字の形状だけでなく、
その言葉の選び方、並べ方にも僕は惹かれました。

難しい言葉、辞書を引かなければいけない言葉は無くて。
単純な単語の頭と尻を繋ぎ合わせて文章が出来上がります。
作品が出来上がります。

難しい言葉で複雑な内容を説明するよりも、
簡単な言葉で複雑な内容を説明する方が難しくて。
簡単な言葉を繋ぎ合わせて出来上がった文章だから、
多くの人にわかりやすい形で伝わるのです。


丁寧に描かれた作品/文字。
しかしながら、決して読みやすいものではありません。
作品に向かい合うという意思が無くては、
視線が留まること無く、流れさってしまう。

自らで意識的に
SEKORABAさんの引いた線を追いかけなければなりません。
目で思考で。


スペースで配布していたレジュメの一文を掲載します。


「自分の中にある、最も自分らしいものを探し出し、それを描き、
人の目に晒すことで、人の心の中にその痕跡を残したい、という思い。
それが「DNAを描く」ことであり、「DNAを残す」ことなんだと思う。」


どこまで登れるかな。
ゴールではなく、ただ高みを目指す姿が作品から見えるのだから。

展示期間は来週の月曜日までとなります。
是非、ご来場ください。


拝見できて良かったです。
ありがとうございました。


(ぱんだ)